見るお芝居
*どこで上演されるかは、当日のお楽しみ!
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- その1『GO TO 1964』
- 今の僕らに果たしてオリンピックは必要なのか?
それを確かめたい
作・演出:木田博貴
出演:木田博貴 粥川あやか
56年ぶり、いや57年ぶりに開催される東京五輪が近づいてきた2021年3月。世界が注目するスポーツの祭典、誰もがその開催を待ちわびてきた。
しかし日本いや世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大し、 兼ねてより開催を疑問視する一部の声も相まって、 本当に五輪開催について考え始めた一人の男がいた。
男は日本で五輪が開催される事がどれほどの価値があるのかを知るために、 1964年に開催された東京五輪に興味を持つ。
きっと天才であろう男は、段ボールとかガムテープとかを材料なんやかんやあってタイムマシンを完成させる。 そして男は1964年への旅へ出るのであった。
イベントのオープニングではみなさんを1964年に連れて行きますので、案内人の説明を良く聞き、 歴史を変えてしまわないように気を付けて行ってきて下さい。
藤枝の新たな魅力を是非その目で発見してもらえたら幸いです。文/木田博貴 -
- その2『いつもの』
- 1964年藤枝、商店街で懸命に細やかに楽しく生きる人々の「いつもの」暮らし
構成・演出:露木凛
出演:小林大峰、露木凛、一心
地元藤枝で活動中の劇団、創作処愛染屋です!誰でも気軽に楽しめるお芝居を、優しい世界感のオリジナル脚本でお届けしています。
今回お届けします『いつもの』は、1964年東京五輪の熱気を遠くに感じつつ、商店街で懸命に細やかに、楽しく生きる人々の「いつもの」暮らしを描きました。
この作品を描くにあたって、当時藤枝で学生時代を過ごした方々に、何度もお話を伺いました。フィールドワーク前、私たちがもつ1964年のイメージは「白黒写真」の世界でした。しかし、お話を伺ったみなさんが、当時のことを空気や匂いまで感じられる程、まるで昨日のように話してくださったので、そのイメージはとても「色鮮やか」になりました。
1964年、人々は「いつもの」日々を、とても充実感満載に「生きて」いた。大人はイキイキと仕事をし、子どもたちは子どもたち同士で楽しく支え合う。寛容であり無関心でもある、素敵な社会があり、白子商店街が大いに賑わっていたことを強く感じました。
普段小劇場芝居をしていますので、フィールドワークで知った色鮮やかな「いつもの」暮らしが、まるで今ここに在り、フラッと通りかかったような、リアリティある距離感をお楽しみいただけたらと思います!文/露木凛 -
- その3『1964年の教室』
- あの頃のわたしのちっぽけな悩みごとは、だけれどいまのわたしの物語の始まりだった
構成・演出:山田裕幸
出演:藤枝東高校演劇部、My town OB・OG
藤枝東高校の演劇部のみなさんと、My town OB・OGのみなさんと一緒に創作します。
僕が台本を書いて演技してもらう、というものではなく、たくさんの「昔の高校生たち」に聞いたお話(フィールドワーク)をもとに、1964年当時の教室を、みんなで想像してもらおうと思っています。
「昔の高校生たち」のお話しでは変わってしまったことも多かったですが、今も変わらないこともたくさんありました。
時間は流れ去ってしまうのではなく、積み重なって、今の私たちがここに立っているのだ。そんな感覚を、みんなと共有できればいいなと思っています。
ちなみに「My town」というのは、2017年に藤枝市と島田市が共同で行った市民参加型の演劇公演のタイトルです。当時の参加メンバーが再集結してくれることになりました。小学生だった彼、彼女が、すっかり高校生に成長しました。
またこうして、地層に一つ、時代に一つ、皺が刻まれていくのです。僕は、顔の皺が増えましたが。文/山田裕幸 -
- その4『結婚します!』
- 新旧の価値観が混じり合う1964年の藤枝で、明るい未来を夢見て歩き出すふたりの物語
作・演出 片山るん
出演:片山るん、薮崎友加里、石村勇二、古市裕貴
1964年、東京オリンピック開催の年。
林ゆり子は、同じ職場で出会った古田との結婚を控えていました。ゆり子は、オリンピックよりも自分たちなりの結婚式を挙げる計画に夢中です。母親の春子は、今までのやり方に従わないゆり子にヤキモキしていました。
そんな二人の思いがぶつかってしまいます。ゆり子は母の気持ちに気づくことができるのでしょうか。また、母は新しい時代を生きる娘にどんな思いを抱くのでしょうか。
1964年はきっと希望に満ちた時代だったのではないかと思うのです。「もはや戦後ではない」と言われ、経済も上向きになっていました。藤枝の地でも、若者は明るい未来に目を向けていたのでしょう。親世代はまだ戦前の価値観から抜け出せずにいたかもしれません。結婚をめぐる親子のやりとりは、世代の価値観がぶつかる瞬間です。
そんな、あったかもしれない家族の姿を目撃していただけたら、と思っています。文/片山るん